2008年5月28日水曜日

7年ぶりの7連勝。完投6試合

ホークスの昭和52(1977)年開幕戦は4月2日。前年他チームを寄せつけず圧倒的な強さを見せた阪急との試合(西宮)だった。開幕投手には前年20勝を挙げ、チームの勝ち頭だった山内を選ぶ一方、阪急は当然ながら前年26勝で最多勝の山田を立てた。南海打線は3番門田、4番にホプキンス、野村は5番に下がるという陣容。この年のビジター用に使用した緑のユニフォームは、胸の「NANKAI」、背番号、その上の名前が白字で黒の縁取り、首周りは丸く黄-白-黄、袖とベルトラインは赤-白-黄というものだった。「派手好きな人」の発案だろう。 この一戦、5回に藤原の安打で南海が先制するが、8回に阪急が同点に追いつく。10回表、定岡の1号で勝ち越した南海だったが、その裏に加藤秀司がサヨナラ安打。惜しい開幕戦を落とした。 

翌3日はダブルヘッダーが組まれた。第1試合は新人王・藤田が先発して完投。南海打線は阪急先発の山口を打ち崩し、藤原が3安打3打点と活躍した他、ホプキンスが2安打1打点、野村は1号を放った。7-2の快勝だった。さらに第2試合で広島から移籍した金城を早くも先発させ、打線は阪急先発の今井を1回2/3でKO。藤原が4安打2打点、門田が1号を含む3安打4打点と金城を援護した。金城は阪急を4回に浴びた長池の本塁打による1点に抑え、完投で移籍初勝利を飾った(9-1)。この試合には、めずらしく西宮球場に4万2000人の観衆が集まった。 開幕戦こそ落としたものの、優勝チームを相手に幸先のいいスタートだった。そしてこの勢いはしばらく衰えない。

 第2節(5~11日)は、後楽園での対日本ハム3連戦の後、移動日なしで帰阪して大阪で8、10、11日とロッテと3戦を行った。5日、先発したのは広島から移籍の佐伯和司と佐々木宏一郎。初回裏にB・ミッチェルのタイムリーで先制され、0-1のままで迎えた8回表、ホークスは野村の2号で同点にすると、続くピアースもヒットで出塁し(代走阪田隆)、柏原が日本ハム3人目の高橋一三から逆転2ランを放ち試合を決めた。シーズン初登板だった佐々木は完投勝利。 6日。開幕戦で勝利を逃した山内が先発した。日本ハムは高橋直樹。2回、ピアースの1号3ランで主導権を握る。4回に1点差に迫られたが、8回に一挙4点を奪う一方、山内はその後追加点を許さず完投でこのシーズン初勝利。7日はまた柏原が一発で試合を決めた。0-1の4回表、日本ハム先発の杉田久雄から逆転3ラン、さらに7回にもソロを放ち、この日は4打点。先発藤田は日本ハム打線を7安打3点に抑え、連続完投で2勝目を挙げた。

 開幕2戦目からすべて完投でここまで5勝1敗。本拠地開幕戦となった8日の対ロッテ戦は、金城の先発だったが、交通事故の後遺症で彼の視力が弱いことは周知のとおり。ロッテ金田監督が試合前にバッテリー間の(金城用?)砂の色に文句をつけたことを、翌日のスポーツニッポン紙が報じていた。試合は、初回に南海が1点を先制して始まった。ロッテは先発の水谷則博が7回に1点を取られたものの、4回と6回に3点づつを奪い勝利をほぼ手中にしていた。(南海に3つの失策があり、金城の自責点は1。)9回裏を迎えたときのスコアは6-2。ホークスの連勝がストップすると思われた最終回、まずピアースの二塁打と柏原のヒットで無死1、3塁となったところで、ロッテは水谷をあきらめて村田を投入する。エース・村田から定岡が左中間へ二塁打を放ってまず2点。桜井の代打広瀬、そして藤原の連打で1点差。無死2、3塁で、村田からS・マクナリティ(登録名はスティーブ)へと投手交代。新井、門田が凡退して2死となり、これで終わりと思ったら、ロッテは4番ホプキンスを敬遠して満塁策をとり、野村との勝負を決める。野村が四球で同点、さらにピアースの代走に出た堀井の代打林も四球を選び、三塁走者の藤原がサヨナラ押し出しのホームを踏んで勝利した。 勢いに乗るホークスは10日も見事に逆転してみせ、7年ぶりの7連勝を飾る。先発佐々木が1死もとれずに降板。代わった星野からも得点し、ロッテは初回に4点を奪う。ところがロッテ先発の小川清一も1死をとれずにマウンドを降り、ホークスは継いだ安木祥二、八木沢、成重も打ち込んで合計7安打で5点を奪いあっさり逆転した。門田が二塁打3本を含む4安打3打点、ホプキンス1号3ラン、盗塁5個(藤原、河埜、柏原X2、定岡)で完勝した(12-5)。初回無死でリリーフした星野はそのまま投げ切った。

 11日、連勝が止まる。先発して完投した山内が初回、有藤にソロ、3回にはL・リーに3ランを浴び、2敗目を喫した。打線は村田に6安打1点に抑えられた。 あれ、オープン戦で使用していたホーム用のユニフォームが変更されているではないか。ラインのなかった袖に緑-黄-赤の3本線、首周りは緑で黒の縁取り、また赤色だった背番号の上の名前が緑になっていた。誰とは言わぬが、よほど「派手好きな人」がデザインしたと思われる。 

(写真=開幕シリーズ(西宮)での野村。同試合前の3塁側ベンチ前。4月7日対日本ハム(後楽園)柏原が杉田から逆転3ラン。8日対ロッテ戦(大阪)の試合前ダイヤモンドグラブ賞の表彰を受ける藤原(左は森本球団代表)。同日サヨナラ押し出しのホームを踏む藤原、「12」は広瀬、その右は新井、右端は定岡。著作権は著作権者に帰属します。)

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