資料をまとめて見る時間が十分なく、野村南海の最後の2年について書いてきたこのブログを何年も更新できずにいる。そして、雑感と呼べる内容は昭和52年のシーズンをすべて振り返ってから一気に書くつもりでいた。しかし、日活映画「野球狂の詩」の「HDリマスター版」を昨夜見て、何か残したい気分になってしまった。
昭和52年2月27日、南海ホークスが春季キャンプ中だった和歌山県田辺市の球場で「野球狂の詩」の撮影が行われた。野村克也監督は「ぶっつけ本番で」(「はばたけホークス」第2号)出演したそうだ。ユニフォームはこの年のキャンプとオープン戦でのみ使用されたもの。映像では、野村監督の他、藤田学が数秒間ひとりで撮られている。同作品のクレジットで南海ホークスと並んで「協力」に挙げられている「ナイル野球用品」のTVコマーシャルにも出演していたゆえ驚かないが、もっと見たい思いだ。ただ、彼の背景が純和風の民家であることが何とも情けない。
野村監督のバッティング練習中に三塁を守るのは河埜敬幸(背番号8)、また投手を務めているのは、村上悦雄
(同47)。バットを振るブレイザー(同50)も見える。その横の青いグラブは市原稔か。ケージに入る山本雅夫(同24)とそのケージの後ろにいる定岡智秋(同3)、J・ピアース、桜井輝秀、山本忠夫(同75)、高畠康真(同80)の姿も見える。水原勇気との野村との対戦でセンターを守っている緑のグラブは誰?新井宏昌だろうか。
(同47)。バットを振るブレイザー(同50)も見える。その横の青いグラブは市原稔か。ケージに入る山本雅夫(同24)とそのケージの後ろにいる定岡智秋(同3)、J・ピアース、桜井輝秀、山本忠夫(同75)、高畠康真(同80)の姿も見える。水原勇気との野村との対戦でセンターを守っている緑のグラブは誰?新井宏昌だろうか。
昭和52年は南海ホークスがメディアに露出した1年だった。阪急ブレーブスに敵なしのパシフィック・リーグにあって、前年の成績から「南海、やるやないか」と思わせてもいたし、TVマンガ「ドカベン」にナイル野球用品がスポンサーとなり、藤田学が出演していたことからもわかる。球団は、前年のささやかな「はばたけホークス」発刊、そしてオープン戦後には公式戦用にユニフォームも作り変えるなど、カネのかかることもやった。この年のシーズン、数試合を残して起こったあの出来事がなければ、南海ホークスは今も存在し、すっかり改装された大阪球場で、あの字体の「Hawks」を胸に試合をしているのではないか。同時に、この支出とメディア露出は南海ホークスの営業努力によるものだったのか、それともある女性ひとりのゴリ押しが行わせたものなのかと考えてしまう。さらに、水島新司の役割は何だったのだろうか。
(Facebook: 「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)