2008年7月12日土曜日

近鉄、阪急、南海、3強の争い

5月3日の対クラウンライター戦(平和台)は有利な展開だったにもかかわらず、先発した藤田とリリーフした佐藤が取ってもらった得点を取り返されて5-7で敗れ、5連敗となった。 大阪に戻った7日からは対日本ハム4連戦が始まった。初戦は金城と高橋直樹が譲らず、8回を終わって0-0の投手戦。9回表に加藤俊夫の2点打が出て惜敗した。6連敗は昭和45(1970)年以来のことだった。高橋は無四球完封。8日のダブルヘッダー第1試合には、ここまで1勝3敗と調子の上がらない山内が先発した。日本ハム先発の佐伯と継いだ(マッシー)村上雅則を3、4、5回に打ち込み4-1で勝利。山内は日本ハムを1点に抑え、完投して2勝目、また打線にも代打、代走がない、選手交代なしの試合だった。第2試合は白星なしの江夏が先発した。初回に先制するものの、2回に早くも逆転され、また「江夏が投げると打てない」を予感させた。ホプキンスの6号などで挙げた3点を守りきって、この年の初完投で初勝利を飾った。これが江夏最後の完投試合となる。翌9日はリリーフエース佐藤が先発。高橋一三との投げ合いで完封する(2-0)。この4連戦、すべて完投という見事さだった。 パリーグは3強3弱の様相で、首位近鉄を同率2位の阪急と南海が1.5ゲームで追い、4位クラウンライターと2位も差は6.5ゲーム開いていた。 そしてホークスはまた近鉄にやられる。10日、藤田が近鉄打線を5安打1点に抑えたが、南海打線は近鉄先発の鈴木啓示にわずか2安打。11日は近鉄井本から8安打を放ちながら1点のみで、近鉄に4安打しか許さなかった星野に報いられず(1-3)。12日になってようやく打線が爆発し、8-2で完勝した。山内はまた完投して3勝目。野村が3打点、藤原、ピアース、柏原は3安打だった。 13日の大阪では、金城が初回に加藤の本塁打で先制されるが、その裏にすぐさま白石から3を奪って逆転し、8回途中から江夏につないで阪急に4-1で破る。しかし、14日はまったく逆の展開。初回先制した2点を先発藤田が守れず、2回に1点、3回に2点を許し、打線は山口の前に4安打と沈黙した(2-3)。3三振、2三振の新井と柏原がブレーキ。翌日は星野、江夏、森口が炎上。稲葉と山田に抑えられた(3-8)。阪急は17安打の猛攻で、なかでも福本は5打数5安打。 この第7節、近鉄はロッテに連敗し(14、16日)、阪急はクラウンライターとの3連戦(10~12日)に負け越してしまう。上位3球団の順位に変わりなし。

 (写真=5月8日対日本ハム(大阪)江夏が「最後」の完投で初勝利。9日(同)1塁側スタンドで映画「野球狂の唄」の主題歌「恋のブロックサイン」を歌って踊る「アパッチ」。11日(日生)南海打線を1点に抑えた近鉄井本隆。12日(日生)3打点の野村。14日(大阪)完投した山口高志と迎える上田利治監督。著作権は著作権者に帰属します。)

(Facebook:「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)

2008年7月9日水曜日

阪神佐野、フェンス激突で頭蓋骨骨折

この年の4月29日と言えば、球場に救急車が入ってくるという一大事が起こった日でもある。川崎球場での太洋X阪神戦の9回裏、打球を追った阪神のレフト佐野仙好がそのままフェンスに激突して昏倒。駆け寄ったセンターの池辺巌が「早く!こっちだ」というようにベンチに向かって合図している。佐野は頭蓋骨骨折の重傷だった。

昼間の試合で、生放送か録画放送か記憶にないが、天皇誕生日のこの日、神戸「サンテレビ」(京都は「近畿放送」)の試合中継を見ていて、「この人は死んでしまう!」と子供ながら心配した。コンクリートフェンスの表面にラバー加工するようになったのは、この事件がきっかけだ。

(写真=阪神佐野が外野フェンスに激突(4月29日川崎)。著作権は著作権者に帰属します。)