2022年1月24日月曜日

『あぶさん』は大人の物語だった

 昨年末に『あぶさん』からの絵をいくつか使わせていただいていたら、1月17日、水島新司氏の訃報があった。功績についてはここで言うまでもない。お悔みを申し上げるとともに、南海ホークスへの関心を数倍も高めていただいたことにお礼を申し上げたい。 

しかし、彼の代表作のひとつである『あぶさん』について、あの作品は陽の当たらないパ・リーグを舞台として、大酒のみで代打専門の「景浦安武」を題材にしたものであることは語られているものの、「ビッグコミックオリジナル」に連載されていたことからもわかるように、『ドカベン』とは違って、そもそも「大人の物語」であったことを指摘する記事が見当たらないのはなぜだろうかと思う。

記事を執筆する人たちが『あぶさん』を読んだこともなければ、あの時代を実際に経験していないのだろう。小生が読み始めたときはすでに第7巻まで発刊されていたが、これは未成年者が読んではいけないものではないかと思ったりしたのだ。

野村克也の打撃ポーズなどはカルビー・ポテトチップスの野球カードから拝借したようなものがあったことを思い出す。また、ユニフォームの「Hawks」の「H」がどうにもうまく描けていなかったことも多かった。すでに書いたように思うが、『あぶさん』は大人の物語から、景浦安武の結婚後は「サザエさん」となり、その後は「スーパーマン」となってしまった。ここにも、野村解任の影響がはっきりと見える。水島新司による野村南海をもっと経験したかった。

(写真=『あぶさん』から「のんべ鷹」「御堂筋銀杏並木」「麻衣子」「同」) 

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2022年1月3日月曜日

無残、難波球場(2)

内野席で一段踏み外せば重症を覚悟しなければならなかったような、大阪球場。昭和52年の開幕前にスタンドが改装された。毎日放送だったか、ラジオ大阪だったか覚えていないが、この改装についての問いに野村監督は、「ペンキを塗り替えただけ」と答えていた。その通りだった。 

また、ファウルエリアの芝生は外野からコーチのボックスを越えたところまで延びていたものだが、それがボックスの外野側手前までとなり、最後は外野エリアにあるだけとなった。

昭和53年に当時としてはきわめて画期的な横浜スタジアムが、その後は東京ドームが開業し、関西では阪神の本拠地である甲子園、そしてハイカラさを何とか保っていた西宮と比べても、難波の大阪球場の貧相さは森ノ宮の日生とともに目立ったのである。

その後は、小生の投書が役に立ったのかは知らないが、線路の資材を使っていたという客席からの視野を遮っていたスクリーン、つまりバックネットが新しくなったぐらいで、以前記したファンブックと同様に洗練無縁を貫いた。昔からプロレス興行やサーカス、またコンサートの会場として使われたりもしたが、野球場としての使命を終えてからは、無残であった。その扱いは野球場への冒涜でさえあった。

 (写真=平成6年9月24日、著作権は著作権者に帰属します)

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