2021年12月5日日曜日

「真夜中の電話から、長い一日が始まった」(1)

昭和52年9月24日。前年のリーグ新人王、藤田学が16勝目を飾ったこの日、野村自身は16号を放ち、3打点を挙げている。

『月見草の唄 野村克也物語』(長沼石根、1981年)から以下を引用するが、その後の経緯や証言を考えれば、「グラウンドの采配に持ち込んでいるというのは、勘ぐり以外の何物でもない」「以前からオーナーの了解をいただいていた」などは、言い訳、あるいは事実に基づかない弁明だと判断されても仕方がない内容もあるように思う。あの猛女の存在はこの著作の信憑性さえ疑わしくさせる。ただ、存命の人物について書くことについては、批判に限界があるのは当然だろう。しかし、取材した著者の本音を聞いてみたい:

 

真夜中の電話から、長い一日が始まった。

一九九七年(昭和五二年)九月二十四日、いや、もう二十五日になっていた。

シーズン最後の東京遠征の初日だった。野村は、対日本ハム四連戦の緒戦に快勝した足で、沙知代夫人、江夏・柏原夫妻らと、知り合いの寿司屋に立ち寄った。「プロ野球ニュース」では、その日野村が放った特大ホームランを映し出していた。野球談義に花が咲き、“野村ファミリー”の笑い声が、遅くまで続いた。

自宅に帰った時、時計はもう午前二時を回っていた。

電話のベルが鳴っている。いやな予感がした。受話器をとると、『日刊スポーツ』記者の興奮した声が飛び込んできた。野村の「監督解任」が決定的だ、という。「『スポーツニッポン』が早版で報じている。ウチも追いかけざるを得なかった。もう輪転機が回っている」と、記者は続けた。

予感はあった。じつは数日前、西宮にいる知人から、確度の高い情報として、球団の意向を聞かされていたからだ。それでも、「まさか」と思っていた。第一、「まだシーズン中ではないか」。

寿司屋で別れたばかりのコーチの高畠と江夏を、自宅に呼んだ。

「びっくりしましたわ、気がついたら、ホテルからスリッパのまま飛び出していた。監督は腹が決まっていたのか、淡々としていた。夜明けを待って、駅へ新聞を買いに走った」

高畠の思い出話である。

「野村更迭決定的」「野村監督解任」―『スポニチ』『日刊』の一面に、派手な見出しが躍っていた。「女性問題が命取り」ともあった。

「野球に私生活を持ち込み、チームがゴタゴタするようでは許せない。公私混同もはなはだしい」―川勝傳オーナーの談話も載っていた。

改めて、「本気だな」と思った。(中略)

一睡もしなかった。昼すぎ、宿舎に行くと、漫画家の水島が部屋で待っていた。

「新聞を見て、じっとしていられなくてね。私らプロ野球ファンは、野村、長島(ママ)の二人だけは永久政権と思っていた。腹が立ってね、だって突然でしょう、ファン無視もはなはだしかった。ノムさんはしかし、落ち着いていた。先生、アブさん(ママ)どうするんや、といったりね」

二十五日、対日本ハムのダブルヘッダー。(中略)

二試合共、マスクをかぶった。第一試合、引き分け。「六番」野村は無安打だった。第二試合、佐藤、江夏のリレーで快勝。二安打を放った。(続く)

(写真=週刊ベースボール昭和52年9月17日号。著作権は著作権者に帰属します。)

(Facebook: 昭和51~52年の南海ホークス)

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