
移動日なしの13日は神宮で対日本ハム6回戦。5回に先制点を許したものの、先発藤田は6回と8回に2点づつ、9回にも1点の援護を得て、このまま完投して成績を5勝1敗とした。14日は2-1から松原を継いだ佐藤が打たれ2-4で敗戦。阪急は13勝13敗の勝率5割ながら、しっかり3位に上がってきていた。
第8節(17~23日)はロッテ戦(大阪)で始まった。ここまで16勝8敗の山内と16勝7敗の村田の投手戦は、6回裏に0-0の均衡を野村が破った。翌日は3-2の7回に八木沢荘六を打って5-2と引き離し、6回から登板した佐藤がきっちり抑えて連勝。さらに江夏が先発した第3戦は、藤原が4打数

20日の太平洋クラブ戦(小倉)では藤田が6回までに14安打を打たれながらも、佐藤のリリーフを得て、東尾修に投げ勝ち、6勝1敗。門田が3打数3安打の2打点、柏原は12号を放った。同じく小倉で行われた22日の試合は4-3と辛勝して、球団創設2500勝目を記録する。中山、松原、佐藤とつなぎ、規定打席に達して首位打者の座をうかがう最後の

平和台での3

「江夏を抑えに」という方針が出来上がりつつあったようだ。
21勝13敗2分けで首位は変わらず、19勝16敗3分けの2位ロッテに2.5ゲーム差をつけた。一方、太平洋クラブ、日本ハムと7連戦

第9節。24日からの3連戦(西宮)で勝ち越せば、阪急を優勝争いから脱落させることもできたが、

第2戦に阪急は5月11日の前期4回戦(大阪)でノーヒッターを記録した戸田を先発させる。わずか3安打しか打てず完封され、7回2/3を2点に抑えた松原は5敗目。第3戦は藤田と今井雄太郎が先発。初回に3点を挙げて今井を降板させたが、藤田が3回に1点、5回に加藤秀司に逆転3ラ


28日の近鉄戦(大阪)では鈴木啓示に完封され(1-0)、3連敗。山内が近鉄打線に許したのは、南海打線が鈴木から放った6安打を下回る5安打だった。翌日は、中山、星野、藤田、江夏、佐藤と継投して何とか逃げ切った。この節を終わって、2位ロッテとのゲーム差は1.5に縮まった。
この頃、「はばたけホークス」なる冊子が定価100円で発行を開始した。おそらく

32ページで発行された創刊第1号となる9月号の表紙には、ホームインする藤原と迎える山本コーチの写真が使用されている。藤原が5号、6号を放った7月29日の日本ハム戦(大阪)で撮影したものと思われる。「はばたけホークス」は、試合結果、監督・選手へのインタビュー、座談会の他、(「ペンデザインスタディ」の住所は阪急色がいっぱいの大阪市北区になっているが、)いかにもゴミゴミした大阪ミナミを本拠にするホークスらしく、洗練さへの配慮などまったく感じさせない稚拙なイラスト解説つきの野球教室などを掲載していた。



「9月号」とあるから、毎月発行かと思せたが、実はそうではなかった……。おまけに……。「はばたけホークス」の顛末については後述することにする。

(写真=阪急(美津濃)と巨人(アディダス)を除く全球団が使用し、野村出演のテレビCMもあった「オニツカ・タイガー」の「ゲーリック」スパイク(野村、中村勝

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