2008年5月2日金曜日

後期中盤、首位を維持も三つ巴の様相

10日から(第7節)の対阪急3連戦(大阪)の初戦。ホークスは阪急の6安打を上回る10安打を放ちながら山田久志に0-2で完封される。山田はこれで18勝5敗。2戦目は初回に山口高志から3点を奪い、8回から山内から佐藤へとリレーして4-1で勝つ。後期5回戦となる12日は江夏と足立光宏が先発し、7回まで1-0でリードするも、8回に福本豊が安打で出塁して盗塁(通算550盗塁)。加藤秀司が福本を返して同点にし、10回表に4点を加えて接戦をものにした。江夏は4安打で自責点1でまたも黒星(5勝11敗)となった。

移動日なしの13日は神宮で対日本ハム6回戦。5回に先制点を許したものの、先発藤田は6回と8回に2点づつ、9回にも1点の援護を得て、このまま完投して成績を5勝1敗とした。14日は2-1から松原を継いだ佐藤が打たれ2-4で敗戦。阪急は13勝13敗の勝率5割ながら、しっかり3位に上がってきていた。

第8節(17~23日)はロッテ戦(大阪)で始まった。ここまで16勝8敗の山内と16勝7敗の村田の投手戦は、6回裏に0-0の均衡を野村が破った。翌日は3-2の7回に八木沢荘六を打って5-2と引き離し、6回から登板した佐藤がきっちり抑えて連勝。さらに江夏が先発した第3戦は、藤原が4打数2安打1打点、新井が5打数2安打2打点の他、野村3打数3安打、ビュフォード4打数2安打、定岡3打数2安打など、合計14安打で5-3で勝利し、首位ロッテを追い落とした。5回を投げた江夏は6勝目を挙げた。

20日の太平洋クラブ戦(小倉)では藤田が6回までに14安打を打たれながらも、佐藤のリリーフを得て、東尾修に投げ勝ち、6勝1敗。門田が3打数3安打の2打点、柏原は12号を放った。同じく小倉で行われた22日の試合は4-3と辛勝して、球団創設2500勝目を記録する。中山、松原、佐藤とつなぎ、規定打席に達して首位打者の座をうかがう最後のバッター吉岡悟で江夏。三球三振。

平和台での3戦目は、その江夏が先発した。初回に野村の9号2ランで先制したものの、江夏が2回2/3で5失点で降板する誤算。打線は藤田と新人王を争う古賀正明に野村の2ランと片平のソロ(11号)に抑えられ、17日からの連勝は5でストップした。

「江夏を抑えに」という方針が出来上がりつつあったようだ。

21勝13敗2分けで首位は変わらず、19勝16敗3分けの2位ロッテに2.5ゲーム差をつけた。一方、太平洋クラブ、日本ハムと7連戦を行った阪急。太平洋クラブには2勝1敗と勝ち越したが、日本ハムに1勝2敗1分けで勝率5割(16勝16敗4分け)を何とか維持した。

第9節。24日からの3連戦(西宮)で勝ち越せば、阪急を優勝争いから脱落させることもできたが、逆に負け越してしまう。第1戦は山内が初回、いきなりウィリアムスに3ランを浴びたものの、4回に10人で6点を奪って逆転。2回から立ち直った山内は足立に投げ勝ち、完投で18勝目。また7回には野村が通算5000塁打を達成した。

第2戦に阪急は5月11日の前期4回戦(大阪)でノーヒッターを記録した戸田を先発させる。わずか3安打しか打てず完封され、7回2/3を2点に抑えた松原は5敗目。第3戦は藤田と今井雄太郎が先発。初回に3点を挙げて今井を降板させたが、藤田が3回に1点、5回に加藤秀司に逆転3ランを浴びた後は一方的にやられっぱなし(3-15)。ホークスは今井を継いだ山口から得点できず、定岡の3つなど合計5失策。藤田(5回)と佐藤(2回)の自責点はともに1だった。8回に登板した池之上は4安打2四球でまた炎上した。

28日の近鉄戦(大阪)では鈴木啓示に完封され(1-0)、3連敗。山内が近鉄打線に許したのは、南海打線が鈴木から放った6安打を下回る5安打だった。翌日は、中山、星野、藤田、江夏、佐藤と継投して何とか逃げ切った。この節を終わって、2位ロッテとのゲーム差は1.5に縮まった。

この頃、「はばたけホークス」なる冊子が定価100円で発行を開始した。おそらくスポーツ紙で情報を得たのだろうが、南海球団から直接入手したと思う。発行者は「株式会社南海ホークス」で、「ペンデザインスタディ」が制作編集を行った。

32ページで発行された創刊第1号となる9月号の表紙には、ホームインする藤原と迎える山本コーチの写真が使用されている。藤原が5号、6号を放った7月29日の日本ハム戦(大阪)で撮影したものと思われる。「はばたけホークス」は、試合結果、監督・選手へのインタビュー、座談会の他、(「ペンデザインスタディ」の住所は阪急色がいっぱいの大阪市北区になっているが、)いかにもゴミゴミした大阪ミナミを本拠にするホークスらしく、洗練さへの配慮などまったく感じさせない稚拙なイラスト解説つきの野球教室などを掲載していた。

「9月号」とあるから、毎月発行かと思せたが、実はそうではなかった……。おまけに……。「はばたけホークス」の顛末については後述することにする。

(写真=阪急(美津濃)と巨人(アディダス)を除く全球団が使用し、野村出演のテレビCMもあった「オニツカ・タイガー」の「ゲーリック」スパイク(野村、中村勝広(阪神、現オリックス・バファローズ球団本部長)、高木守道(中日))。8月22日対太平洋クラブ(小倉):江夏が吉岡を三球三振。同23日(平和台):先発江夏が2回2/3で降板(左は松田清コーチ、「19」は野村、右奥は定岡)。入団3年目で一軍昇格を果たした藤田と新人王を争う太平洋クラブ先発の1年目の古賀正明。同24日対阪急(西宮):野村が通算5000塁打を達成。投手時代の池之上(1975年「南海ホークスファンブック」から)。完投で18勝目を挙げた山内と柏原、野村。創刊された「はばたけホークス」9月号の表紙。同誌に掲載された写真(野村、藤原、佐藤、門田、山内、穴吹二軍監督)。著作権は著作権者に帰属します。)

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