2008年5月1日木曜日

昭和51年オールスター戦

昭和51(1976)年オールスターには、ホークスからファン投票による江夏(投手)、野村(捕手)、定岡(遊撃)の他、監督推薦で山内、佐藤、藤原、門田と、合計7選手が選出された。前年の「赤ヘル」と対比して「グリーン軍団」と呼ばれ、グリーンのヘルメットが何とも目立った。 

7月17日の第1戦(川崎)では、3打数2安打で野村が打撃賞、3打数1安打2打点の藤原が優秀選手賞を獲得した。 18日、後楽園での第2戦初回、門田がセリーグ投手部門ファン投票選出の小林繁(巨人)から先制の2ランを放つ。映像が残っていればいいのに。門田は小林のゆっくりしたフォームにまったくタイミングが合わず、上げて下ろしかけた左足をもう1度上げて打ったホームランだった。 門田はこの試合5打数4安打2打点で殊勲選手賞、さらに藤原が5打数3安打3打点(盗塁1)で打撃賞。

大阪球場で行われた20日の第3戦。何とかしてこの試合を球場で見たかったが、京都に住む中学生にはムリなことだった。この日は、大阪球場の新スコアボードお披露目の日でもあった。上部の時計の左は「世界の時計」、右には「SEIKO」の「(非電光掲示の)後楽園型」で、ボード上部の左右には「アヲハタの缶詰」、両側には縦に「HOYAメガネ」の広告があった。

 パの先発は江夏、セは江本孟紀(阪神)。「ホークスの江夏」が先発だけでも十分興奮というものだが、前年までホークスにいた江本が大阪球場に阪神のユニフォームで登場し、江夏X田淵という対決まで……。 規定の3回を3安打3三振、自責点1で投げきった江本とは対照的に、江夏は安打こそ張本勲(巨人)に打たれた1本だったが、4つの四球を与え、三振は1つも奪えず自責点1。わずか2/3イニングで足立(阪急)にマウンドを譲った。当時の「週刊ベースボール」のグラビアには見開きで、マウンドに江夏、1塁ベースコーチには阪神の吉田義男監督という、今となっては皮肉な写真が掲載されていた。第3戦では門田が敢闘賞を獲得した。 

ファン投票1位選手: パリーグ=(投)江夏(南海)、(捕)野村(南海)、(一)加藤秀(阪急)、(ニ)山崎裕(ロッテ)、(三)有藤(ロッテ)、(遊)定岡(南海)、(外)福本(阪急)、大田(太平洋クラブ)、島本(近鉄) セリーグ=(投)小林(巨人)、(捕)田淵(阪神)、(一)王(巨人)、(ニ)ジョンソン(巨人)、(三)高田(巨人)、(遊)藤田(阪神)、(外)張本(巨人)、末次(巨人)、山本(広島)

 (写真=第2戦(後楽園):門田が小林繁(巨人)から初回に先制2ラン。パ・リーグのベンチ前(「19」は野村)。門田、殊勲選手賞獲得。三塁守備の藤原(走者・谷沢健一(中日))。第3戦(大阪):試合前の野村と張本(巨人)。セレモニー(左から戸田善紀(阪急)、鈴木啓示(近鉄)、東尾修(太平洋クラブ)、村田兆治(ロッテ)、山内新一(南海)、佐藤道郎(南海)、野村収(日本ハム)、野村克也(南海)、有田修三(近鉄)、河村健一郎(阪急)、加藤秀司(阪急)、山崎裕之(ロッテ)、有藤道世(ロッテ)、定岡智秋(南海))。初回張本が江夏から安打、そして得点(捕手野村)。打席の藤原。著作権は著作権者に帰属します。)

(Facebook: 昭和51~52年の南海ホークス)

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