前後期をともに2位で終えたホークスは、123試合に出場したものの打率.239に終わったビュフォードとロブソン(37試合、打率.209)を解雇した。新たにJ・ピアースを獲得するとともに、12月になって、アメリカでの医大進学のために帰国するとされていたG・ホプキンスの入団を決める。ホプキンスは昭和50(1975)年に全130試合に出場。打率は.256ながら打点90で広島の初優勝に貢献し、翌年は打率.329をマークしていた。投手では、松原と門田純良を放出して広島から金城基泰を獲得した。
昭和52(1977)年の春季キャンプ(和歌山県田辺市)での話題のひとつは、映画「野球狂の詩」の撮影だった。主演は水原勇気役の木之内みどり。
ホークスは前年、ホーム用に緑-黄-緑のベルトライン以外にはまったくラインのないVネックのユニフォームを採用し、昭和49(1974)年から使用していたものと併用していたが、このキャンプでまたユニフォームを変え、オープン戦を通じて使った。Vネックが丸首に変り、ベルトラインは緑-黄-赤となった。背中には赤のローマ字で背番号の上に選手名が記された。
(写真=左から水島新司、野村、木之内みどり(田辺キャンプ)。江夏(同)。「はばたけホークス」第2号表紙:3月8日対中日オープン戦(大阪8-1)、ホームインするのは林俊弘、その後ろは黒田正宏、捕手は木俣達彦(中日))。12日対巨人オープン戦(大阪3-3):先発メンバーは、南海=藤原(三)新井(中)ピアース(左)門田(右)柏原(一)片平(指)桜井(ニ)定岡(遊)黒田(捕)藤田(投)、巨人=柴田(中)土井(ニ)張本(左)王(一)末次(右)高田(三)吉田(捕)河埜(遊)小林(投)。13日対阪神オープン戦(大阪5-2):「スリコギ(ツチノコ)バット」の本家本元・藤原。著作権は著作権者に帰属します。)
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