2008年4月5日土曜日

昭和48年、南海ホークス最後のリーグ優勝

昭和48(1973)年にパリーグ優勝した南海ホークス。後期は優勝した阪急に0勝12敗1分けだった。「死んだふり」などと言われたが、勝つつもりで負けたのか、それとも計算づくで負けたのかはわからない。

この年、前後期制が導入された。5試合制で先に3勝したチームがリーグ優勝というプレーオフを前に、野村克也監督は「奇数試合を勝ちにいく」と明言。そして、まったくその通りの展開でパリーグを制覇した。10月19日に大阪球場で開幕したこのプレーオフの第5戦(西宮)は、東宝・阪急・宝塚系列の関西テレビ(「パリーグ・アワー」)が放送していたが、試合途中で時間切れ。この後は、ラジオで聞いていたと記憶する。ホークスは山内新一から佐藤道郎へと継投。9回表のW・スミス、広瀬叔功の連続ホームランで2-0とし、これで決まりかと思わせたその裏2死、佐藤が阪急代打の当銀秀崇に1点差に迫られるホームランを許す。野村はここで江本孟紀を投入。最後は、代打専門で名を馳せ、昭和49(1974)年のオールスター第1戦(後楽園)に出場して代打逆転サヨナラホームランを打つことになる高井保弘が登場したが、江本は三振に斬った。後に映像を見ると、野村が子供のように小躍りして江本と抱き合う姿が印象的だ。

前後期通算では68勝58敗で勝率.540。勝率が.616だった阪急、同.588で2位だったロッテにも及ばなかったホークスがリーグを制覇という不思議なシーズンでもあった。

(写真=プレーオフ第1戦(大阪)後の監督インタビュー。W・スミス。第5戦(西宮)で決めたパリーグ制覇X3。著作権は著作権者に帰属します。)

0 件のコメント: