
同年だったのか記憶にないが、村山実がまだ現役だった頃で、甲子園球場の阪神巨人戦にも行った。おそらく村山が監督兼任だった時代で、外野手はW・カークランド
甲子園球場の外野席。試合の経過や結果はさっぱり覚えていない。ただ、試合が終わった後、京都の自宅にたどり着いたのは、子供の起きているべき時間を過ぎていた。多分、夏休みだったのだろう。
神戸のUHF局サンテレビ(京都では近畿放送)が連日試合終了まで放送する阪神タイガースの試合が見られるので、多少は阪神ファンだったとも言える。しかし、西宮の甲子園が遠かったこともあって、プロ野球と言えばパリーグ、それも父親の事務所が大阪府立体育会館近くにあったため、大阪球場を本拠地する南海ホークスであり、地元京都の西京極球場を準本拠地にしていた阪急ブレーブスだった。
最初から南海ホークスが好きだったというわけではないが、パリーグ好きだったことには間違いない。
昭和48(1973)年、太平洋クラブ・ライオンズにD・ビュフォードがやって来た。2年前にボルティモア・オリオールズの一員としてジム・パーマー、フランクとブルックスの両ロビンソン、そして後に長
昭和49(1974)年、新たに太平洋クラブには、LA・ドジャースとワシントン・セネターズで主砲だったF・ハワードが加入した。「週刊ベースボール」がカラーグラビアで春季キャンプ

特にビュフォードは、毎日新聞のスポーツ欄にフェンス際でジャンプ捕球している写真があったりして、ビュフォード熱が上昇していった。

(写真=杉浦忠引退試合入場券。昭和49(1974)年6月2日(大阪):対太平洋クラブ前期8・9回戦。同日の大阪球場入場券。著作権は著作権者に帰属します。)
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