「江夏いりまへんか?」 阪神の吉田監督から突然の電話があったのは1975年のシーズン終盤だった。 「えっ、江夏って2人いたっけ阪神に」 「いや、いや、大投手、江夏でんがな」 以上は日本経済新聞の「私の履歴書」(2006年6月)にシダックス監督だった野村克也が書いた一節。 「野球は南海」と思わせた「ある出来事」とは、江夏豊の南海ホークスへの移籍である。阪神からは江夏の他に望月充が入団してきた。一方、南海からは、エース江本孟紀、島野育夫、池内豊、長谷川勉が移っていった。さらに南海には野崎恒夫との交換トレードで、太平洋クラブから「あのビュフォード」が加入した。 江夏は、「なんで、このワシがあんな連中と交換されなきゃあならんのや」「南海の江本とワシがトレードの軸やて。そんなアホな。江本なんていうピッチャー、ワシは知らんで。一緒にされてたまるか」と言っていたらしい。(別冊週刊ベースボール昭和63(1988)年冬季号「さらば!南海ホークス」) 森昌彦(現祇晶)との対談(週刊ベースボール昭和51(1976)年3月29日号)では、 森「……昨年の暮れに、ほんとうにトレードされるんじゃないかというふうな気持ちはあったの、多少なりとも」 江夏「毎年あったんですよ、この2、3年は」 森「それはまた、阪神のエースとしてはおかしな話やね」 江夏「ええ、だからね、去年の12月24日ですか。ぼくがちょうど仕事で東京にいるときですね、トレードのことが新聞に載ったですよ。それを見てね、一瞬クソーッと思ったですけどね、また内心何か、安心いうたらおかしいけれど、ああ、決まったかいうようなあれで、ものすごく冷静でいられたんです……」 森「ただその通告されたというよりも、その前がぼくは問題だと思うんだな」 江夏「……やり方があると思うんですよ。……ぼくらをだますのはけっこうですよ、ぼくとかぼくの嫁はんとかをね。でも、その親をだますいうのは、人間的にぼくは許されないことだと思うんです」 江夏「……はっきりと(長田陸夫球団)社長が家へ電話してるわけですよ。江夏は絶対にトレードしないと」 江夏「……新聞に載ったあと、26日くらいですかね。仲人の家にもそういう連絡がいっているわけですよ。こんどは(吉田義男)監督から。そういうことはぼくは人間として恥ずかしい行為だなと思ってね、かえってそういう人を哀れに思ったですよ……」 江夏「一番ガックリしたのは、南海へ入って野村監督といろいろ話し合ったんですわ。そうしたら、このトレード話は10月の終わりくらいからあったというわけですわ」 森「なるほど」 江夏「そういうことを、聞けば聞くほど、何ときたない人間かと思うたですね……」と、トレードのいきさつについて話している。
(写真=昭和51(1976)年1月28日ホテル南海での入団発表。和歌山県田辺市での春季キャンプ。週刊ベースボール3月29日号表紙。主力投手5人(写真=左から江夏、松原、山内、佐藤、中山)。「1976年南海ホークス・ファンブック」表紙。著作権は著作権者に帰属します。)
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