2008年4月14日月曜日

前期2位に終わる。首位阪急から5ゲーム差

前期第8節。5月18日(静岡)での対日本ハム戦で山内が6連勝(7勝2敗)、翌日は中山が4-0で完封する。しかし翌々日は1-3で敗戦し、またもや江夏が投げると打てない。首位阪急は山口高志が20日の近鉄戦で3安打9三振で完封して復活。第9節の25日の対太平洋クラブ(平和台)で4番に座ったT・ロブソン(後の千葉ロッテ打撃コーチ)が2安打4打点と活躍し、山内はハーラートップとなる8勝目を挙げた。ところが翌日は新人古賀正明に完封負け(0-4、敗戦投手中山)した後、27日は松原で、また28~29日の阪急戦(西宮)は江夏、山内で敗れて4連敗する。

第10節。2位ロッテとの3連戦(大阪、6月1~3日)を2勝1敗で勝ち越す。3戦目こそ山内で落とした(3-4)が、初戦は中山が完投し、2戦目は0-4から逆転して5-4で勝利。4日の対太平洋クラブ戦(大阪)では、江夏が5安打に抑えて前月5日以来の勝ち星。西京極でロッテを破った阪急には同日、マジック15が点灯した。

6日は東尾、永射を打ち崩す。7回、桜井のスクイズで2塁走者の柏原まで生還する「2ランスクイズ」を成功させ、10-4と圧倒した。5番ロブソン4の3、6番ビュフォード4の3(4打点)、7番柏原5の3。(毎日放送のテレビ中継があったと記憶する。)

第11節に入っていた11日の日本ハム戦(大阪)に、またもや江夏で惜敗(1-2)。翌日からの阪急3連戦の初戦、第2戦にも敗れて3連敗する。阪急のマジックは8まで減る。同節終了時点で、ホークスは3位に順位を下げる(2位ロッテとのゲーム差は0.5)。

しかし……6月19日からの阪急戦で3連勝!第1戦は初回に1点先制されるものの、その裏に2点取って逆転し、さらに2回には5点を奪って楽勝した(10-2)。門田が12、13号を放てば、山内は完投して10勝目を挙げた。20日のダブルヘッダー第1試合は新井が4打数4安打。山口から7点を奪い、星野から佐藤と継いで快勝(7-3)。さらに、対阪急前期最終戦となった第2試合では、2-0とリードされた4回に1点を返し、5回に3点、6回に2点と阪急を引き離し、松原-江夏の継投で阪急に足止めをくわせた(7-3)。

阪急は山田と村田が先発した24日のロッテ戦に8-0で勝って、2位南海に5ゲームの差をつけて前期優勝を決めた。山田はここまで13勝3敗。

前期を終わって、パリーグの打撃10傑には、南海から門田(.301)、藤原(.287)、野村(.278)の3人が名を連ね、打点では門田が42でリーグトップだった。

パリーグの夜間試合がテレビ中継されるなどということはまずなかった当時、ラジオ大阪の「南海ナイター」を聴いた。この中継さえない日は、「スポーツニッポン」の電話による試合経過お知らせサービス。何度も電話(京都から大阪への市外通話)で経過を確認したものだった。そして、夜の10時前に数分間だけテレビ放送されるだけだった「プロ野球速報」に頼っていた当日の試合結果は、この年から佐々木信也(月~金)と土居まさる(土日)の「プロ野球ニュース」(フジテレビ系)が始まり、テレビでの野球報道が一変した。

「南海ナイター」では毎回クイズがあって、当選すると寄せ書きサインボールが賞品だった。この年だったと思うが、応募すると、何とサインボールが送られてきたではないか!

ただ、ラジオ大阪は南海が昭和53(1978)年に低迷期に入ると、さっさと「近鉄バファローズアワー」にしてしまったが……。

(写真=5月20日対日本ハム(静岡):またも江夏で惜敗。6月20日対阪急(大阪):優勝目前の阪急に3連勝(野村)。同24日阪急Xロッテ(西宮):阪急が前期優勝を決める。ラジオ大阪「南海ナイター」から送られてきたサインボール(左上から「Hawks」の印字、野村、門田、山内、桜井)。フジテレビ系「プロ野球ニュース」。著作権は著作権者に帰属します。)

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