2008年4月6日日曜日
昭和50年、阪急黄金時代の幕開け。南海5位に沈む
昭和50(1975)年。前年途中に入団したR・ロリッチを残留させて、前年3割を打ったパーカーを解雇。新たにJ・ネトルスを獲得した。
世代交代の半ばとも言え、前期5位(27勝32敗6分け)、近鉄バファローズが念願の初優勝を果たした後期は3位(30勝33敗2分け)。通算では5位に終わる。日本シリーズはプレーオフを制した阪急と広島カープで争われた。山田久志、山口高志、足立光宏らの投手陣と福本豊、大熊忠義、加藤秀司、長池徳二、B・マルカーノ、B・ウイリアムス、中沢伸二、大橋穣ら打撃陣を擁した阪急黄金時代が到来したシーズンでもあった。
投手成績は江本と松原の11勝が最多で、10勝が山内と中山。チーム防御率は2.98でリーグトップだったのに比べ、チーム打率は.245で近鉄と並んでリーグ最下位だった。貧打で負けたのが明確な数字だ。
世代交代を象徴するのは、定岡智秋と新井宏昌。定岡の出場試合数は前年の15試合から97試合に、新人の新井は後期から出場して50試合でチーム最高打率の.303をマーク.一方、佐野嘉之(23試合)や広瀬(52試合)の出場機会は減少した。後年、J・ドイルとC・ナイマンが「ワンベース」と皮肉った(マーティ・キーナート「『YES』と言えなかった大リーガー:来日ガイジン選手200人の告白」)河埜敬幸は、入団2年目ながら9試合に出場している。
また、前年入団し、「英才教育」のため2年間1軍に昇格させない方針の藤田学は、ウェスタンリーグで16勝3敗(防御率1.68)の成績を残している。
この年、野村の600号と広瀬の600盗塁が達成される試合の対戦チームを当てる「ホークス600ダブルクイズ」を実施。野村は5月22日の日本ハム戦(後楽園)で通算600号を達成するものの、開幕時点で600盗塁達成まで17個に迫っていた広瀬の盗塁数は10にとどまった。翌年2個、翌々年1個に終わり、通算596盗塁で昭和52(1977)年のシーズンを最後に現役を引退する。
5月5日の対ロッテ前期4回戦(大阪)で、ホークスは村田兆冶を相手に「スミ1」で勝つ。1回裏、先頭の島野育夫が安打で出塁して二盗に成功。その後得点する。得点がこの1点だけ、安打は初回に島野の放ったこの1本のみ。ホークス先発の松原はスイスイと投げ、ロッテを完封してしまった。
セリーグの話になるが、この年の話題は「赤ヘル」。広島は球団が創設されてから初のセリーグ制覇を果たすことになるが、初めて観戦したオールスター・ゲーム(第1戦7月19日・甲子園)でも衣笠祥雄と山本浩二がともに2打席連続ホームランと、十分見せつけてくれた。そして、セリーグ先発の江夏豊(阪神)とパリーグ主力の野村。翌昭和51(1976)年にバッテリーを組むことになることを、誰もまだ知らなかった……。
(写真=阪急電鉄が発行した「日本シリーズ記念」乗車券。定岡智秋(三塁手D・ビュフォード)。またもや緑のボールペンで書かれたサインが消滅しつつある定岡サインボール。佐野嘉之。新井宏昌(8月12日対阪急(西京極))。藤原満(走者ビュフォード)。「ホークス600ダブルクイズ」応募用紙。野村の通算600号を表示する後楽園球場スコアボード。600号を放った野村克也とD・ブレイザー。門田博光と村田兆治(5月5日)。同日の大阪球場入場券。7月19日オールスター第1戦(甲子園):野村克也と江夏豊(捕手は田淵幸一)。同日の甲子園球場入場券。3塁ベースを回る山本浩二(3塁ベースコーチは長嶋茂雄)、8月12日西京極球場入場券。著作権は著作権者に帰属します。)
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