2008年4月12日土曜日

昭和51年前期開幕、「Stop the Braves!」

昭和51(1976)年の開幕前、優勝候補に挙げられていたのは阪急とロッテ。

4月3日の平和台球場での開幕戦(対太平洋クラブ)が雨で流れた翌日、南海ホークスはシーズン初戦に山内新一を先発させる。佐藤道郎が継いだ後の9回裏1死走者1人の場面で、江夏豊のパリーグ公式戦初登板となった。若菜嘉晴と白仁天の2人を打ち取ってパリーグ初セーブ。4-3で逃げ切った。5日は中山孝一から佐藤のリレーで3-2で連日の1点差勝ち。

江夏の初先発は本拠地開幕戦となる4月7日の近鉄戦。8回までヒット2本に抑えるも、9回にヒットとフォアボールで1死1・2塁となった場面で佐藤と交代。完投は逃したが9三振を奪って初勝利を挙げた。「『任せるよ』と声をかけてマウンドを降りた。いさぎよくバトンタッチされた佐藤は胸がジンとしたという」。近鉄の小川亨は、「こっちが、打ち気に出ると、カーブではずすテクニックには驚いた。速さよりもあの巧さに手も足も出なかった」。(「左腕の誇り」)

開幕3連勝でスタートしたホークスは前期第2節が修了した時点で5勝2敗。当時のパリーグはこんな成績では首位になれない。阪急は4日のダブルヘッダー第2戦を落としたものの、同時点で7勝1敗。

第3節。藤田学登場。13日の阪急戦(西京極)で江夏を継いで5回から登板し、4安打無失点に抑えて1軍デビューし、18日(対近鉄、藤井寺)には先発で6回6安打3失点だった。24日の対日本ハム(後楽園)では先発江夏を4回途中からリリーフして初勝利(14-8)。この節が終わってパリーグの首位打者は.364の柏原純一だった。

13日から17日まで4連敗(うち江夏が2敗)するものの、23~25日の日本ハム戦(後楽園)に3連勝して、ここまで10勝7敗。首位阪急とは2ゲーム差だった。

学校で小生は授業そっちのけで、自分の机に「Stop the Braves!」と書き、その下に勝率とゲーム差を計算して毎日、毎日書き込んでいた。

5月3日の太平洋クラブ戦(大阪)に山内が完投して12-3と大勝し、5日のロッテ戦(大阪)は江夏と村田が先発して1-1のまま延長にもつれこむ。11回裏2死からサヨナラ勝ち。江夏は11回を3安打に抑えて完投した。6日は3-1でリードしていた6回に連続スクイズを決め、6-1で快勝。ホークスは、9日の近鉄戦(日生)まで5連勝。一時は首位に立つ。

この年、「江夏が投げると打てない南海」と何度も繰り返して言われた。第7節に入った11日の大阪球場での対阪急前期第4回戦はその典型だろう。この試合で江夏は阪急打線を5安打1点に抑えて完投。ただ、阪急先発の戸田善紀がノーヒッター達成ではどうしようもない。

第7節16日の対ロッテ・ダブルヘッダー(川崎)の第1試合。7回1/3で3安打しか打たれていない江夏をまたもや援護できず、0-0の時間切れ引き分け。しかし第2試合を松原が完投して3勝目を挙げた。

この節を終えて、阪急が20勝11敗1分け、南海は20勝14敗1分け。ゲーム差はまだ1.5ゲームだったが……。

(写真=4月4日対太平洋クラブ(平和台):江夏が初登板で初セーブ。同7日対近鉄(大阪):江夏1勝目X2。同11日対日本ハム(大阪):D・ビュフォード第1号3ラン。同18日対近鉄(藤井寺):藤田学が初先発(一塁手柏原、走者島本講平)。同日ビュフォード2号3ラン。23日対日本ハム(後楽園):柏原が9回に逆転3ラン。5月2日「腹番号」太平洋クラブとのダブルヘッダー(大阪):第1試合前のビュフォードと片平晋作(後方は桜井輝秀)。第1試合9回表2死で打者W・ジェナス。3安打完封勝利の中山(2勝2敗)。NHK実況解説席に陣取っておられる鶴岡一人親分(元老?……)。第2試合でのジェナス本塁突入と鬼頭政一監督の抗議。野村。本塁打(第3号)を放ってタッチするビュフォードとD・ブレイザー・コーチ(「75」は山本忠夫コーチ)。ベンチ前のビュフォード(「3」は定岡智秋、「25」は片平)。1塁側スタンド(手前のおじさんのすぐ左側で紺色の帽子をかぶっているのは友人、右側の「後頭部」だけ見えている少年は小生(「1977年南海ホークス・ファンブック」から))、同日の大阪球場入場券。同11日対阪急(大阪):「江夏が投げると打てない……」戸田にノーヒッターを喫す(「1」は桜井)。著作権は著作権者に帰属します。)

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