2021年11月24日水曜日

「1番サード」が負傷欠場。首位から3ゲーム

阪急がロッテ相手に1勝2敗と苦戦していた頃、ホークスはクラウンライターとの3連戦を2勝1分けで終えた。山内と竹田和史が先発した平和台での初戦は6回まで2(ホプキンス7号、定岡4号)-1の接戦だったが、7回表にクラウン3番手の早乙女豊から5点を奪って試合を決めた。完投した山内はこれで4勝4敗。 翌18日(小倉)は6回途中から金城を継いで江夏を投入し、打線は東尾、玉井信博を打って7-3で快勝した。11安打、13安打(全員安打はこのシーズンのパリーグ初)と連日の2ケタ安打だった。19日(小倉)はベテラン山下律夫と永射にてこずった。延長11回時間切れで引き分けた(2-2)。18日は江夏が救援、19日は佐藤が先発で10回を投げるなど、これまでの分業が逆になってきたことが明らかだろう。 移動日をはさんで21日からは仙台での対ロッテ戦。阪急に勝ち越したロッテは、南海相手にもまず村田が完投して初戦をものにする(2-3)。同じく完投したホークス先発の星野はロッテを8安打3点に抑え、よく投げたと言える。ただ、この試合で藤原が白仁天の打球であごを骨折するアクシデントがあり、彼の戦列離脱は痛手となった。ダブルヘッダーの組まれた翌22日の第1試合は山内が2回に1点、3回にレロン・リーの3ランで計4点を奪われたもの、その後は金城-江夏とリレーして追加点を許さなかった。ピアースが3人目の成重から5号を放つなどして競り勝った。第2試合はまたもリーの3ランが飛び出し、打線はこの1本による失点に抑えた藤田を援護できなかった。ロッテ3連戦はいずれも1点差ゲーム。 一方、その頃首位近鉄は5連敗していた。第8節を終わって近鉄を2位阪急が1厘1毛差、3位南海が1ゲームで追うという展開だった。 

前期第9節は、24、25日は大阪に戻って対クラウンライター戦で始まった。藤原の欠場で、柏原を三塁に、レフトに新井、そしてセンターに広瀬や阪田などを起用してしのぐことを迫られた。24日は江夏に代わって先発に定着した佐藤と東尾。初回の2失点をその裏あっさりと同点、そして2回、6回に加点して4-2で勝利し、2位阪急に同率で並んだ。25日は佐々木(3回)、金城(2回2/3)、江夏(3回1/3)と三等分するように継投し、5-3で連勝した。江夏は6三振を奪う好投で2勝目を挙げた。打っては門田が3打数3安打3打点の活躍。 東北遠征した28、29日は対日本ハム戦。八戸では開幕からの5連勝後、ここまで4連敗している藤田が先発したが7安打と打ち込まれ、4回で降板した。救いは後に「日本ハムキラー」と呼ばれることになる森口が救援して4回を無失点に抑えたことだった。日本ハムは高橋直樹が南海打線を2点に抑えて6勝目を飾った。青森ではダブルヘッダーが組まれた。第1試合は金城が早々に降板し、また第2試合は、門田の10、11号も実らず、まさかの連敗(5-10、4-8)! 2位阪急は山陰シリーズで首位近鉄を3タテし、「定位置」に収まった。逆に日本ハムに3タテを食らってしまったホークスは首位に立った阪急から3ゲーム離されてしまう。 (写真=「週刊ベースボール」昭和52(1977)年5月23日号表紙。本塁に突入する阪田(1977年「南海ホークスファンブック」より

(写真=「75」は山本忠男コーチ、「28」は村上公康捕手)。試合終盤の代走と言えば、阪田か堀井と決まっていた。著作権は著作権者に帰属します。)

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