2021年11月30日火曜日

昭和52年後期終盤—「あの頃」の終わりが迫る


第10節(8月30日~9月5日)。阪急との北陸シリーズ。30日(高岡)、3-1とリードしながら、6回に先発の藤田、そしてリリーフした江夏がつかまり逆転されて敗れる。翌31日(富山)でのダブルヘッダーは両試合とも5-5で引き分けた。

大阪に戻った9月2~4日の対クラウンライター3連戦は、初戦を山内で落としたものの、第2戦、第3戦は、11安打、16安打で7-3、11-3と完勝しただけでなく、佐々木(4勝2敗)と藤田(14勝12敗)がともに完投している。

9月6~7日の対日本ハム戦(後楽園)を1勝1敗とした後、大阪で首位ロッテとの3連戦となった。10日の初戦、南海は藤田、ロッテは水谷が先発。8、9回の終盤に追い上げられたが、江夏につないで8-5で勝利。

11日の先発は山内と村田で投手戦となり、ロッテ村田は7回まで南海打線を1安打に抑えていた。しかし、南海は8回に「2ラン・スクイズ」を決めてリードすると、最終回はやはり江夏。17セーブ目を挙げて、それまで同僚の佐藤が持っていた記録を更新した。このカードの最終戦となった第3戦はその佐藤が完投したが、3-3で引き分けた。この試合、後退したくない首位ロッテの金田監督は毎回のように投手交代を行い、7人をつぎ込んでいる。

8月初旬に首位に立ってから、その位置を安定して維持してきたロッテだったが、残り試合数が少なくなってきた第11節になって、首位ロッテから5位南海までが3ゲーム差の中にあるという混戦になっていたのである。

1314日の対近鉄戦(藤井寺)は、佐々木-江夏、藤田-森口で連敗したが、15日は9回に逆転すると、すかさず守護神を投入して逃げ切り。17日の近鉄との最終戦(大阪)も鈴木を相手にサヨナラで勝利した。サヨナラのホームを踏んだのは、通算600盗塁を(ずっと)目前にしながらそれを達成せずに引退を表明した広瀬叔功だ。

(写真=昭和52年9月17日(大阪)。著作権は著作権者に帰属します)

(Facebook: 「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)

2021年11月29日月曜日

浮上できないホークス:「絶対大丈夫」のはずの江夏だったが……

8月16日に始まった後期第8節、南海ホークスは大阪球場に日本ハムを迎えた。2回に奪われた1点を追う南海は、これ以上の失点を防ごうと、8回、満塁にされたところで、鈴木と投げ合った5月31日の対近鉄戦(大阪)を最後に先発することがなくなり、南海は抑え専門となっていた江夏をマウンドに送る。しかし……。

投じた初球を代打村井にスタンドへ運ばれてしまう。この試合のラジオでの実況中継を聞いていて、

「江夏が打たれるはずないやろ!」

と思ったことをよくよく記憶している。

「江夏なら、絶対大丈夫」

彼はそういう存在だったのである。

日本ハムに3連敗した後、21日、仙台でのロッテとのダブルヘッダー第1試合にも敗れてまたもや最下位に。

阪急、近鉄、南海と、関西私鉄3球団がそろってBクラスに低迷し、首位はロッテが堅持していた。

第9節(8月2328日)の初戦(大阪)、1-0で迎えた9回表に逆転され惜しい敗戦となった。近鉄の鈴木は完投で16勝目を挙げた。同じく完投したが敗戦投手となった山内は7勝9敗。25日の第9回戦は、定岡と柏原の本塁打でもらった3点を藤田が守り抜き、完封で13勝目を飾った。翌26日、平和台での対クラウンライター初戦に2-7で敗れはしたが、この試合で野村が史上初の通算1万打数を達成する。クラウンライターは第2~4戦に3連敗することになる。27日には江夏が連続11セーブとなるシーズン15セーブ目を挙げた。28日はホプキンスの2ラン2発などで7-2と快勝した。この試合に先発した佐々木は完投で3勝目。首位は変わらずロッテが堅持し、南海はロッテに4.5ゲーム離された5位でこの節を終えた。

(写真=著作権は著作権者に帰属します。) 

(Facebook: 昭和51~52年の南海ホークス)

2021年11月27日土曜日

江夏が8連続セーブの日本新記録を達成

オールスター戦を終え、後期ペナントレース(第5節)が7月29日に再開された。

南海は神宮でロッテとの4連戦(31日はダブルヘッダー)。負傷した5月21日の対ロッテ戦(仙台)から欠場し、7月10日に一塁手として戦列にすでに復帰していた藤原が、このシリーズの初戦に定位置の三塁に戻った。その初戦は村田に完封されて0-11で大敗。翌30日は金城から江夏へとつないだが、3時間42分、9回時間切れで2-2の引き分け。打てないし、勝てない。31日の第1試合、藤田が完投して9勝目。ようやく白星を挙げるも、第2試合は14安打を放たれて2-4で敗れた。この節を終えて、南海は6勝12敗2分け。相変わらず最下位に沈んだままだった。すでに優勝を狙える位置にはなかった。

第6節の初戦となった8月2日の対阪急戦(大阪)は、9回に2点を返して1点差まで詰め寄ったが3-4で敗戦。しかし、3日は藤田が山口と投げ合い2安打完封し、4日は山内と山田で始まり、江夏が最後の2/3を抑え7つ目のセーブを挙げて連勝した。1-0と3-2という、いずれも際どい勝利であった。藤田、山口、山田は完投している。守護神江夏が生まれたのはこの年の後期からだと言ってよいだろう。

6~7日は首位クラウンライターとの新潟遠征となった。6日、9-2で快勝して最下位を脱出した。ダブルヘッダーとなった7日は、3-6の劣勢を8回に4点を挙げて7-6で第1試合に勝利した。江夏にセーブ。第2試合はホプキンスが11、12号を放って4打数4安打6打点。江夏にセーブ。クラウンライターの失速が始まったようだ。

第7節(8月9~15日)は近鉄との3連戦を1勝2敗と負け越した後、続く対阪急3連戦を2勝1敗とした。14日のダブルヘッダー第1試合は。ホプキンスが欠場する中で、15安打11得点と貧打を忘れたかのようである。この試合、2番で出場した河埜は5打数4安打、またピアースが13号を含む4打点の活躍である。先発した山内は完投で7勝目。第2試合は佐藤と足立が先発。初回に先制されたものの、4、5、7回に1点ずつ加点し、最後は江夏で逃げ切った。また、門田が3安打して打率トップに躍り出た。15日、藤田が今度は山田に投げ勝って12勝目を挙げた。江夏が8連続セーブの日本新記録を達成。最下位を脱出した南海は3位にようやく浮上した(1516敗2分け)。第7節、クラウンライターが首位陥落、代わってロッテが首位に立った。また、前期を制した阪急は、ここまで1415敗1分けと負けが先行して4位に低迷している。

(写真=8月3日、藤田が完封で10勝目を挙げる(対阪急4回戦)。8月15日、江夏が8連続セーブの日本新記録を達成(対阪急9回戦)。ともに大阪球場。著作権は著作権者に帰属します。) 

(Facebook: 「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)

後期開幕、最下位に沈む

後期開幕は7月4日。南海ホークスはこの日の対日本ハム戦(後楽園)に藤田が先発し、門田が15、16号、またピアースが9号を放つものの5-10で落とし、前期と同様に黒星でのスタートとなった。

後期第1・2節(7月4~11日)を2勝5敗で終え、最下位まで落ちる。続く第3節(7月12~18日)は、12~14日に平和台でクラウンライターに3タテをくらうなど、5敗1分けという惨憺たる有様だった。前節7日の対近鉄戦(大阪)から17日の対ロッテ戦(大阪)まで6連敗。この間の合計得点はわずか10となっている。18日の対ロッテ戦(大阪)では、最終回に桜井の二塁打で同点に追いつき、なんとか引き分けに持ち込んだ。

その一方、前期を最下位で終えたクラウンライターは後期第3節終了時点で9勝3敗。首位に立っていた。

オールスター戦前の第4節(7月19~21日)になって、ようやく本拠地での対日本ハム3連戦に全勝し、調子を取り戻した。初戦は5回にピアースの3ランなどで4点を先取し、そして山内が1点を奪われた7回に早々と江夏を投入して逃げ切り、第2戦は2回に先に4点を奪われたものの3回から登板した佐藤が投げ切った。その間、柏原が2回に2ラン、5回に新井のタイムリーで同点に追いつき、門田の犠飛で勝ち越した。21日の第3戦は、先発金城を6回から藤田がリリーフ。0-2で迎えた最終回、藤原、門田のタイムリーで同点、さらに二死満塁で野村が放った一打でサヨナラ勝ちした。

この年のオールスター戦は23日が平和台、24日が西宮、26日の第3戦が神宮で行われ、南海ホークスからは、野村、定岡、門田がファン投票で、また金城と藤田が監督推薦で選出された。第1戦では門田が優秀選手賞、また第2戦では長嶋と並ぶオールスター戦最多となる47安打を記録した野村が殊勲選手賞を得た。2カ月後に始まる騒動を予感していたのだろうか。

(写真=オールスター第2戦(西宮)で殊勲選手賞を贈られる野村。著作権は著作権者に帰属します。)

(Facebook: 「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)

前期終了:「あの頃」の終わりの始まり

前期最終節(6月28日~7月3日)、南海が試合を行ったのは7月2日の対近鉄戦(日生)のみだった。当初は1日に後期を開幕させる予定だったため、残った3試合を前期消化試合として後期閉幕後に行うことにしたのだろう。

この対近鉄戦で、ベテラン米田から9号を放つなど野村が3打数3安打と活躍。投げては先発した森口を4回途中に継いだ江夏が9回1死まで好投し、最後は金城が締めくくった。

優勝を目前にして足踏みした阪急は、6月30日の対クラウンライター戦(平和台)を山口が12安打を許しながらも完投して勝利したが、翌7月1日は先発した山田がケガで3回途中でマウンドを降りることになり、打線も山下から永射への継投に4安打に抑えられた。ちなみに、福本が広瀬の持つ通算盗塁記録に並んだのはこの試合だった。

西宮に戻った2日の対ロッテ戦には足立が先発した。ロッテは優勝を阻止すべく金田、安木、成重、水谷、八木沢、そして村田までつぎ込み、阪急打線を4安打2得点に抑えたが、足立がロッテ打線に11安打を許しながらも完投し、阪急が前期優勝を決めた。

未消化の3試合が残ってはいたが、阪急が35勝24敗5分け、33勝25敗6分けだった南海は1.5ゲーム差でまたもや阪急に敗れ去った、

そして、「あの頃の南海ホークス」という意味では、この阪急の前期優勝が「あの頃」の終わりの始まりとなったとも言えなくはない。

(Facebook: 「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)

前期第12節、残ったのは「クビの皮一枚」

昭和52年前期の第11節を4連勝で終えた南海ホークスは、第12節(6月14~20日)を首位阪急ブレーブスから1.5ゲーム差の2位で迎えた。

入団2年目の森口益光が先発した14日の対クラウンライター11回戦(大阪)は、初回に先制した後、2回にピアースの8号本塁打で追加点を挙げ、東尾を相手に投げる森口が7回までクラウンライター打線に得点を許さず、8回から江夏にマウンドを譲ったものの、この試合でプロ初勝利を飾った。

平和台球場に舞台を移し、延長11回までもつれた18日はサヨナラで破れたものの、翌19日は河埜とホプキンスがそれぞれ4安打、新井が3安打など、合計24安打を放ち15得点で大勝した。

一方、阪急は同じ19日、神宮での対ロッテ戦に山田が完投して9勝目を挙げ、マジック5を点灯させる。平和台での試合後、野村監督は「クビの皮一枚残った」と語ったらしい。

阪急は第12節最終日(20日)の対日本ハム戦(後楽園)で稲葉が高橋直樹と投げ合い、完投で8勝目を挙げた。

この節の終了時点で、マジックを点灯させた首位阪急と2位南海とのゲーム差は2となった。

第13節(6月21~26日)の初戦となった25日の対近鉄12回戦で南海は苦手とする鈴木に相対した。南海の先発はここまで6勝6敗の藤田学。広瀬の二塁打や4番に座った門田の14号などで鈴木を降板させ、代わった柳田から河埜がスクイズを決めて、4回までに5-0。13日の対クラウンライター戦(大阪)で延長10回を投げ切り、久々に勝利していた藤田はこの日、完封で7勝目。

26日は大阪でロッテとのダブルヘッダーとなった。金城と村田の投げ合いとなった第1試合、南海は2回に野村の8号で先制した後、5回には広瀬のタイムリーで加点。金城は7回に山崎のソロで1点差に詰め寄られたものの、そのまま完投して成績を8勝4敗とした。

第2試合も先制したのは南海だったが、先発した佐藤が乱れて1回2/3で降板となった。代わった星野がリーに満塁ホーマーを浴び、4-10と大敗した。もうひとつも落とす余裕などなかった南海だったが……。

しかし、阪急ももたつく。26日は日本ハムとのこちらもダブルヘッダー(後楽園)。第1試合、山田が永淵とミッチェルに本塁打を許して2-3と惜敗。第2試合は稲葉から山口へとつないで勝利したものの、優勝は次節に持ち越された。

(写真=6月14日(大阪)プロ初勝利を挙げた森口益光。著作権は著作権者に帰属します。) 

(Facebook: 昭和51~52年の南海ホークス)

2021年11月26日金曜日

4連勝で優勝戦線に残る

大阪に戻って、5月31日からは対近鉄2連戦(10、11回戦)だったが、初戦は江夏が3回1/3で4点を奪われ、打線は鈴木に完投される(2-5)。合計8安打の近鉄が江夏、金城から5得点だったのに対し、鈴木から7安打を放った南海はわずか2点に終わった。そして、江夏が先発投手として登板したのは、これが最後となった。 翌日は東北シリーズで好投した森口が先発し、8安打を許したものの、6回2/3を投げて2失点(自責点1)とまずまず。ただ、打線が得点できない。近鉄の3投手から7安打ながら、8回に門田の12号ソロでかろうじて同点にし、そのまま時間切れ引き分けとなった(2-2)。 6月3~5日は西宮で阪急と4試合(5日はダブルヘッダー)。3日は5連勝して以後勝っていない藤田と山田が先発した。山田は4安打2点しか許さずラクラクの完投で8勝目。前年5月からの対南海の連勝を10とした。一方の藤田はウィリアムス、島谷、中沢の本塁打を含む12安打を浴び9失点(自責点8)。野村は藤田を降板させず、最後まで投げさせた。 翌4日。2-1と南海リードの6回裏、阪急は加藤秀司が金城から2ランを放って逆転すると、代わった佐藤が河村に満塁弾を浴びた。阪急先発の稲葉は山田と同様、南海打線を4安打に抑えた(2-8)。 0-2と負けムードだった5日のダブルヘッダー第1試合は、定岡の2ランなどで終盤に逆転に成功し、投げては前日1回を投げた佐藤が完投して5勝目を挙げた(2-5)。チームは5月25日以来、久々の白星。第2試合は、初回に3点を先取した阪急が星野から着々と加点して7-4と快勝した。 前節からの不調が響いて、第10節終了時点で24勝23敗と貯金はわずか1つ。首位争いどころか、4位ロッテに2ゲーム差と迫られた。 8、9日はそのロッテと対戦した(大阪)。8日は好投が続く森口が先発し、4回2/3を1点に抑えた。南海は6回に同点にしたものの、8回に勝ち越される苦しい展開。9回に片平の代打で登場した桜井の同点打が飛び出し、延長戦となる。続く10回、今度はこれも代打の広瀬の安打でサヨナラ勝ちした(3-2)。投げては江夏が5回1/3のロングリリーフで3勝目を挙げた。翌9日はロッテ先発の村田から定岡、新井のタイムリーで序盤に3点、中盤には河埜、門田、ホプキンスの3連打で加点する好ペース。先発した金城も7三振を奪って完封し、チームは優勝戦線に辛うじて残った格好だ。 12日は対阪急前期最終戦(大阪)。南海がアテ馬の松本芳之を加えて15人、阪急が17人を投入する総力戦となった。先発は佐藤と稲葉。南海は4回にホプキンスの8号で同点にし、ピアースを1塁に置いて野村が逆転の7号2ランを放つ。対する阪急は5、6回に1点づつ加えて同点にし、佐藤を降板させる。しかし、南海打線は7回に門田が勝ち越し打、そしてピアースがダメ押し打。8回にもホプキンスの2塁打で3点を追加した。9日に完封で6勝目を挙げたばかりの金城が6回から佐藤を継いで7勝目を飾った。 13日は対クラウンライター第10回戦が大阪球場で行われた。5連勝後、6連敗している藤田が先発した。クラウンライターはサイドスローの左腕、永射。2回に先取された南海は、6回になってやっと河埜のタイムリーで同点とし、そのまま延長戦となった。延長10回裏、桜井のサヨナラ打で試合を決めた(2-1)。桜井はこの日、チーム4安打のうち3本を放ち、また藤田は長い長いトンネルをようやく抜けて久々に勝利した。 藤原を欠く打線は、毎試合アテ馬を使う苦しいやりくりだったが、第11節(6月7~13日)のホークスは4勝負けなし。首位阪急と2位近鉄は、ともに0勝3敗1分けだった。13日に阪急と引き分けた近鉄に代わって、ホークスが2位に浮上した。 (写真=6月4日(西宮)阪急山田が完投で8勝目。対南海はこれで10連勝となった。12日対阪急前期13回(最終)戦(大阪)4回裏に野村が左越えに逆転2ランを放つ(左はJ・ピアース、右は山本1塁ベースコーチ)。著作権は著作権者に帰属します。)

(Facebook: 昭和51~52年の南海ホークス)

2021年11月25日木曜日

好調維持も近鉄に苦戦

第3節に入っていた13日、ホークスは大阪で対日本ハム4回戦を行った。それまで日本ハムには負けなし。先発した金城が初回に早くも2点を奪われたが、その裏すかさず逆転した……ものの、日本ハムは3回にも3点を挙げ金城をKOし、4回にも代わった佐藤から2点を追加した。4回表を終わって7-3のこの試合、4回裏に猛攻が始まった。5番野村以下が連打して一挙に5点を奪い逆転したのだった。その後、追いつかれたが、負けムードのこの試合を8-8の引き分けに持ち込んだ。 翌14日は藤田と高橋直樹が先発。9回を終わって2-2の同点で延長に入る。延長10回裏、1死満塁から門田のサヨナラ打が出て連勝した。藤田は完投で3勝目。 だが、15日からの対近鉄戦がよくない。ホークスは前期、近鉄に対して3勝8敗2分けと大きく負け越し、これが優勝を逃した大きな理由となる。15日(日生)、6回に門田の3ランで逆転し、先発星野が踏ん張って8回まで3-1。火消しの佐藤に交代して万全のはずが、三塁からの送球を野村が落球してサヨナラ負けを喫した。17日は井本に藤井寺で完封され(0-11)、江夏のシーズン初登板・初先発となった18日は、初回に藤原と門田の本塁打で有利に試合を進めたものの、じりじりと追い上げられ4-4の引き分けに持ち込まれた。阪急はこの節を3勝1敗で終え、首位南海に1ゲーム差に迫った。 7連勝後、いったん勢いの消えたようなホークスだが、第4節は5勝1分けと申し分ない結果だった。後楽園での対ロッテ3連戦は、藤田が完投で負けなしの4勝目を挙げ(4-2)、翌日は星野が村田に投げ勝ってこれも完投し、打線も8安打で7点を挙げて快勝(7-1)。3戦目は先発の金城が打ち込まれたが、9回に2塁打で出塁した藤原を広瀬がバントで送り、続く門田の決勝打で逃げ切った(7-6)。大阪に戻っての対クラウンライター3連戦。山内と東尾が先発した初戦は4-4で引き分け(山内は完投)。第2戦は9安打を打たれながら藤田がまたもや完投して5勝目。さらに24日は金城が完投して開幕2戦目の阪急戦以来の2勝目を挙げた。6試合で完投が5つと開幕直後の連勝を思わせた。 第5節は対阪急戦(大阪)で始まった。26日、先発した星野と白石が譲らず、また打線は南海が7安打、阪急は8安打を放ちながら決定打を放てず、延長10回1-1で引き分けた。翌日は雨で流れ、28日は絶好調の藤田が先発した。阪急は山田を立てた。取られれば、取り返す展開となったが、8回表に加藤秀司がこの試合2本目の本塁打を打ち込んで決めた(3-4)。藤田は初黒星。 そして29日からは苦手の近鉄戦(大阪)。29日、近鉄打線は先発山内と救援に出た江夏から4点を奪い、南海打線は4回の門田、9回のホプキンスの本塁打による2点にとどまり、またしても井本にやられた。30日は金城と鈴木が先発。鈴木から10安打を放ちながら、得点は7回の野村の本塁打のみ(1-2)。大阪球場が3万2000人と満員になった5月1日の3戦目は、先発星野が3点を先取されて2回0/3で降板。打線はつながらず(1-3)、阪急戦から4連敗となった。一方、近鉄は9連勝を飾った。

 (写真=4月19日対ロッテ戦(後楽園)完投で4勝目を挙げた藤田と野村。同20日、門田が4回表に先制ソロ。同日、完投の星野と門田。同29日対近鉄戦の大阪球場スタンド(あっ、真ん中のオバちゃんは、あの派手好きの……)。「はばたけホークス」第3号表紙。著作権は著作権者に帰属します。)

(Facebook: 「あの頃の南海ホークス」で「はばたけホークス」(PDF版)を販売しています)